BOESENDORFER
ベーゼンドルファーの歴史と特長
市民社会の成立とベーゼンドルファーの創業
1789年フランス革命以降、ヨーロッパでは市民社会が形成され、それまでは宮廷や貴族のサロンで少人数を対象に行われていた音楽の演奏が、大きなホールに多くの市民を集めて行われるようになりました。1820年代になるとピアノにもより豊かな音量や幅広い音域が求められるようになり、「ロマン派」と呼ばれる音楽が隆盛を迎えます。作曲家はピアニストでもあり、ピアノに対して求めるものもその音楽による志向性がありました。1810年生まれのショパンは明るさの中に神秘的な趣をたたえた音色のプレイエルを「香水の香りがするピアノ」と呼んで愛用しました。
ウィーン生まれのイグナッツ・ベーゼンドルファーは1828年ピアノ製造業を創業。その2年後には「宮廷及び会議所御用達のピアノ製造者」の称号を受けるなど早くから品質の高さで非凡さを発揮しました。
しかしそれに甘んずることなく彼は多くの作曲家やピアニストからの助言を得ながら研究と改良を重ね、「ウィンナートーン」と呼ばれる美しい音色に磨きを掛けていきました。
リストとベーゼンドルファー
ショパンから1年遅れて1811年に生まれたリストは早くから作曲・演奏にその天賦の才を発揮、彼のテクニックを遺憾なく発揮できるエラール(フランス・イギリスで育ったピアノで早い同音連打が可能な機構を開発した)を好んでいました。
「リサイタル」形式の演奏会を始めたリストは、持ち前の超絶技巧を駆使したエネルギッシュな演奏を繰り広げ多くの女性ファンを熱狂させます。しかしその強靭なタッチゆえに、弦が切れたりハンマーが壊れたりして使えなくなる事も度々ありました。
そうした中でリストが1846年に出会ったのがベーゼンドルファーです。「私の期待を超えるほどの完璧さを持っている」と絶賛し、その後彼のパートナーとして長く愛用されました。
リストはベーゼンドルファーの耐久性・頑丈さだけでなく、温もりのある深く絶妙な音色をこよなく愛し、その後の多くのコンサートで使用、リストの名声と共にベーゼンドルファーの評判も世界に知れ渡って行きます。イグナッツとリストとの強い友愛はイグナッツの息子ルードヴィッヒにも受け継がれ、リストが亡くなる1886年まで続きます。
リストが晩年を迎えた一九世紀後半、ピアノは鉄製フレームの採用で、内面的で静かな音色の楽器から、アメリカの環境と工業力で育ち発展したスタインウェイに代表される燦然と輝く大音量を響かせる楽器へと変化していきます。ベーゼンドルファーも鉄のフレームを取り入れましたが、聴衆の心を魅きつけるピアニッシモ、そして「シンキング・トーン」と言われる「木の響き」へのこだわりを持ち続け、リストに愛されたベーゼンドルファーならではの美しい音色「ウィンナートーン」を現在まで守り、受け継いでいます。
ベーゼンドルファーの音の秘密
ピアニッシモこそが人々の心を惹きつける
イグナッツの意思を受け継いだ息子のルードヴィッヒは、音楽家が求める音色を実現するため、新たなアクション(鍵盤を弾いてハンマーが弦を打つまでの機構)を開発し特許区取得、更にはベーゼンドルファーホールを建設するなど音楽の都・ウィーンの繁栄にも貢献します。
ベーゼンドルファーは創業時から一貫して「ピアニッシモこそが人々の心を惹きつける」とし、また一つひとつの音を美しく響かせ持続させる「シンキングトーン」柔らかく繊細に変化する「木の響き」といった、他のどのピアノとも違う音色を確立し多くの音楽家から惜しみない賛辞を受けてきました。
その音色を実現するのに最も特徴的なのは木材の使い方です。通常は響板のみに使われる事が多い「スプルース」材(松の一種)を全木材の8割以上で使います。響板はもちろん、支柱と支柱枠、そして側板までもがスプルース材で構成され、一つの共鳴体を形成します。これは「Resonating box 原理」と呼ばれ、楽器全体の共鳴度が増し、繊細で雑味のないピュアな音色が生まれるのです。
更に木材を加工する際に無理な圧力を掛けて湾曲させたりせず、削る・接着する・積み重ねるといった工法で木材にストレスがかからないよう配慮しています。それにより木をリラックスさせ「シンキングトーン」や「木の響き」に繋がって行きます。
エキステンド・ベース
20世紀初頭に活躍したピアニスト・作曲家 ブゾーニの求めにより最低音が長六度低いCまで延長された「エキステンド・ベース」は「インペリアル」「225」モデルに搭載されています。鍵盤数は97。低音域が広がる事により、共鳴効果でさらに豊かな響きが広がります。
また、「1本掛け」と言われる弦を張る方式などもピュアな音色を求めるベーゼンドルファーならではのこだわりです。(通常のピアノは折り返して弦を張るので、繋がった弦が音程の違う隣の鍵盤用の弦として使われる)
ベーゼンドルファーはインペリアル(モデル-290)、225、200、170の4つのモデルについては現在も100年以上前の設計を踏襲しています。
弾き方によって微妙なニュアンスを自在に表現できる事において、ベーゼンドルファーに勝るピアノはない、と多くのピアニスト、演奏者が評価しています。
ベーゼンドルファーの音を聴く
ピアノの現在〜これから
二十世紀に入ると、演奏会場の大型化やオーケストラの大規模化に対応するため、ピアノは音量の増大と楽器としての強度向上に取り組むこととなります。厳しい技術競争が繰り広げられるうち、一九世紀ロマン派の作曲家たちに愛されたピアノ・メーカーの多くは勢いを失い、歴史の舞台から去っていきました。
現在も世界の人々に愛されつづけているピアノには、それだけの理由が存在します。ベーゼンドルファーの場合は、伝統的な音色・技術を重んじ、優れた技術者たちが一台一台、十分に時間をかけて造り出していく「芸術品」である、ということ。職人たちが魂を込めてつくり上げる楽器には、それだけの力があるのです。
創業以来生産したピアノはわずか4万9千台。(参考―ヤマハ国内生産 640万台)現在も年産わずか250台。この希少なピアノが奏でる音色を是非一度ご自身の耳と手と全身で体感してみませんか?
ベーゼンドルファーピアノに寄せるピアニスト、専門家の声
当時の作曲家の思いを知るにはベーゼンドルファーが適している
「14歳の時に開いたリサイタルで初めてベーゼンドルファーに触れました。温かく、その音色の幅がとにかく豊か。私は木のぬくもり感のある、やわらかな音こそがべーゼンドルファーの最大の魅力だと感じています。」
温かく、その音色の幅がとにかく豊か。私は木のぬくもり感のある、やわらかな音こそがべーゼンドルファーの最大の魅力だと感じています。」
「フォルテピアノの流れを最も汲んでいるモダンピアノのメーカーはベーゼンドルファーです。ベートーヴェン、シューベルト、モーツァルト、ハイドン・・・・。彼らが作曲の時に思い描いていた音色はフォルテピアノということになります。モダンピアノで当時の作曲家の思いを伝えるにはベーゼンドルファーピアノが最も適した音色ではないでしょうか。」
「ベーゼンドルファーは、時に悲しく、人の心を揺さぶる音を聴かせてくれます。それは移民の多いウィーンの街とも関係しているのです。故郷への思いなどが音に滲み出ているように感じます。」
「ウィーンフィルの音楽も同じです。弦楽器のヴィブラート、ホルン、オーボエなど、他のオーケストラでは聴かれない音色を持っています。輝きがあるというよりも、甘く、どこか影があって儚げ、それがベーゼンドルファーにも反映されているのです」ジュゼッペ・マリオッティさん ピアニスト・徳島文理大学音楽学部長
至福のピアニッシモがベーゼンドルファーにはある
「ピアニッシモからピアノ、メゾピアノあたりまでの繊細な表現のところはこの楽器だからこそ学べることが多々あります。」
「ベーゼンドルファーという楽器全体から放たれるウィーンの香りとでもいうような独特の雰囲気から感じ取れるものが一番重要かもしれません。この楽器でレッスンをすれば、技術だけでなく感性も自ずと磨かれていくと思います。」
岩崎洵奈さん ピアニスト
もしかしたら日本に来ていた?フランツ・リスト
ベーゼンドルファーを愛用したリストと日本についてこんな逸話があります。
明治維新が成って間もない1871年12月に岩倉具視を全権大使とする日本使節団が不平等条約の改定と欧米事情の視察を主な目的に、アメリカを皮切りに欧州他を廻った事はご存知の方も多いと思います。後に初代首相となった伊藤博文もその一員で、西洋の文化文明を学ぶため、日本に招聘すべき人材の発掘と確保も彼の任務でした。パリに滞在中のある日、伊藤はコンサートホールに出かけあるピアニストの演奏に触れ大感激、「日本に来て西洋音楽を教えてくれないか」と申し出た、とか。その時のピアニストこそ、かのフランツ・リストだったのです。しかしリストはその頃すでに60歳、その話は実現しなかった、と。もしそれが実現していたらエライ事になっていたかもしれませんね。
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